- 米 COLUMBIA ML-5004 ワルター指揮コロムビア響、モーツァルト:「ミラベルの庭園にて」
- 華麗な優秀録音 米MERCURY SR90435 ドラティ指揮ロンドン響/パリ 1913-1938
- J. V. Stamic & Sons – Viola Concertos – Pěruška
- 105年後の12月にはどうなっている?! 太陽のほくろ – 6月6日、楽器の日。
- 鬼才にして巨匠ホロヴィッツ没 – 1989/11/5
この記事を読むのに必要な時間は約 7 分 33 秒です。
心の奥にしっとりと響きわたる・・・才気あふれる、浦壁信二快心のラヴェル
スイスの時計職人・・・ロシアの作曲家ストラヴィンスキーが、ラヴェルを評して言った言葉です。2012年に生誕150年を祝ったドビュッシーと同じ、20世紀初頭のフランスを代表する作曲家の一人。『印象主義』の騎手で、一曲一曲に試みられた仕掛けが面白い。それ故決して多作家ではないが、残された作品は精密を極める完成度で各ジャンルの重要なレパートリーに数えられるように無駄が無い。ラヴェルが生きた時代から一世紀経っても、『コンテンポラリー』の『古典』として相変わらずの人気を誇りコンサートで好んで取り上げられている。
ハイライトは『鏡』〜ドビュッシー・イヤーを締めくくるラヴェル
開場は10分遅れ、受け付けの説明ではリハーサルが長引いているというお詫びだった。金曜日の夜、油屋さんが届けてくれる灯油を受け取ってから出かければ丁度良い時間だろうと算段をしていたのですが、いつもなら午後5時半には来てくれるのに午後6時過ぎても気配がない。もう、駄目だ。諦めて午後6時10分すぎに出かけた。ウォーキングのスピードで、会場の熊本市健軍文化ホールへ。ちょうど、案内どおりの午後7時半だったろう。開場が遅れていて救われた。
開演も10分遅れ。浦壁信二さんの言葉を借りれば、『交通が渋滞しているようだったので、集まりの便を考えて10分遅れにしました。』ということだ。開場を待っている間にロビーで同様な挨拶を聞いた。途中までかなり渋滞があったそうだ。最後はスルッと来れたということ。金曜日の夜、やむを得ない交通事情なのだろう。さすがに手慣れた演奏家サイドの配慮である。
ロビーでの期待度は大きかった。「(練習曲だけど、)チェルニーは(番号順にさらわなければということなく)どの番号から挑戦してみても(成果があって)良い。何より、練習曲っぽさがなくてどれも面白い。」であるとか、『試験勉強で寝不足だけど楽しみに来た』と、『道化師の朝の歌』が一番楽しみと言ってた”ピアノの試験”勉強中の音大生。余裕持ってやってきてアーケードでご飯をゆっくり食べた。というグループといったふうだ。
健軍文化ホールは健軍商店街のアーケードを通り抜けて、しばらくは歩かなくちゃならない。キャパシティは大きくはない。350人が入れるぐらい。わたしが入場したあとで、来場者が増えた。半分とはいかないまでも、4割は席が埋まった。その埋まり方が面白い。
ステージの中央のピアノから、左半分に偏っている。比率的に左が埋まっているというのでなしに、左側の最前列から埋まっていって。前の方でも右側に座る人はなかった。奇妙なものだと思っていたけど、プログラムが後半になった頃に気がついた。みんな浦壁信二さんの指運びを見たいのだ。
わたしは前から五列目の収録用マイクが見上げられる位置に席を選んだ。ピアノの鍵盤の高さだ。ピアノの反響板の角度がほぼ平行になるオーディオ的直接音が聴ける。プログラム前半はピアノの響き、ゆったりとした音楽に浸った。前述の”奇妙”さに気がついてから、ペダルを観察するように聴いていた。それは面白かったので、最初から思いが至らなかったことが残念。
演奏の合間に浦壁さんの説明が挟まれて、進む。『4月に東京で演奏会をした時に、(ラヴェルの)同じような音が続くばかりだと何が今弾かれているのかわからない』とあった反省だとか。『鏡』の前では、『面白いタイトルが付いた短い曲の曲集と思いそうだけど、全体25分の長い曲です。途中退屈したり、わからなくなったら、このあと演奏会が追わたらどこに繰りだそう。とか遠慮なく逃避してください。そうして時々、僕の演奏に戻ってきてください』と会場に笑い声を起こさせてリラックスさせてくれた。しかし、それが反面、緊張が解けて音楽に入り込めた。今回の演奏の中で、この『鏡』の第3曲『海原の小舟』の中間部。第5曲「鐘の谷」は白眉だった。後者はゾクッとする閃きを感じたほどです。
終演も午後9時を5分ほどオーバー。その後、サインを頂いた。ほとんどがピアノを学んでいるものばかりで、プレゼントやら一緒に写真を撮って貰ったりと親しげな場となった。『鏡』を聴いていて胸が詰まる用だった、という感想と一曲、一曲が十分に間をおいて演奏されたことが『特にラヴェルを聞く上では演奏を記憶にとどめるのに助かった』ことを話すことが出来た。演奏中でも、曲が終わった途端に拍手が起こることはなかった。浦壁信二さんも最後の音が充分に消えてから、アクションを起こされた。普段ならこのあたりで拍手が起こりがちですが、椅子から立たれてから拍手となった。誰もがラヴェルの音楽をわかってる。そう感じることで連帯感も覚えた。
穏やかな気持で開場を出た。ちょっと小雨が降り出しそうな空気だった。でも、月明かりが充分に輝いていたので歩いて帰宅。午後10時前。近くに良い音楽を聞けるホールがあることは嬉しい。
ラヴェルに取り組む男
生誕150年のドビュッシー・イヤーに、どうしてオール・ラヴェルのプログラムで挑むのか。世間的にも個人的にも、昨年はいろいろな出来事があって・・・ずっと長年、ラヴェルに取り組みたいと思っていた。それがもしかしたら、願望のままで出来ず仕舞いになってしまうかもしれない。気がつけば風貌も随分と変わってしまって、今のうちにやっておこう。ということでドビュッシー・イヤーだというのに、4月にコンサートをすること決心となった。
リサイタルの一曲目『グロテスクなセレナード』を弾き終えてから、今夜のリサイタルのプログラムについて浦壁信二さんがマイクを手に説明された。そう、『熊本での初のソロ・リサイタルにあたり、今年4月に東京でご好評を頂いたラヴェル・プログラムをお届けいたします。』とプログラムのヘッドラインに浦壁信二と署名付きで挨拶が書かれてある。今回のリサイタルのプログラムの『曲目解説』、CDの解説も浦壁信二さん自身の手によるもので、親しみの感じられる文章となっています。
たしかにドビュッシーとラヴェルは同時代のフランス作曲家。お互い影響し合い、駆け出しの頃は大の仲良しだった。・・・いずれそれは、ドビュッシーの曲をラヴェルが盗作した。ラヴェルの曲をドビュッシーが盗作した。二人の曲にはそうした騒動が多い。ドビュッシーの曲をラヴェルがピアノ版にしたり、ラヴェルの曲をドビュッシーが管弦楽曲にしたりという互いの得意な技術で支えあった時代もあったので、致し方ない騒動ではないか。想定外の出来事ではない。
ドビュッシーとラヴェルのピアノ曲は、聴かれ方をされている場面が多いと思う。ドビュッシー・イヤーで新しいCDも色々聞いた一年。ラヴェル尽くしで締めくくるのも二人の音楽をより理解する機会になった。
浦壁信二さんのラヴェルへの試み、第2集も期待する。
浦壁信二さんのファーストCD スクリャービン:ピアノ・ソナタと作品集 mp3のダウンロード、試聴ができます。
Scriabine;Piano Sons&Works
伴奏、アンサンブルでのCDは多く、ショパン・イヤーにリリースされた「ショパン・ファンタジー」は優れている。